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1969年式 ポルシェ911Sとの関わり
この車との出会いがなかったら、こんなビジネスを営む事がなかったと思う。遡ること39年前の1979年2月4日、この車を我が家へ迎えた。
その1週間前までガレージには、通称ハコスカGT-R、1971年式のスカイラインHT・2000GT-Rが収まっていた。1週間後の日曜日に左ハンドル車に変わったと言うのが今でも信じられない。1969年式のポルシェ911Sへバトンタッチしたのである。
昭和44年に、当時の正規輸入元・三和自動車が26台輸入し登録した69モデルの911Sの1台がこのクルマで、昭和44年7月に三和自動車へ出荷したとドイツから回答があった。
出会ってから来年2月で40年、今までガレージに入っていた車は、今現在は家の中へ場所を移し、静かに眠っている。
この40年間の走行距離は約1万キロ、実走行距離78000kmで現在は冬眠中である。
当時、この車を紹介してくれたのは、三和自動車販売株式会社の営業T氏だった。デートの待ち合わせ場所がショウルームの前で、ドタキャンされ待ちぼうけを食らった。その日の約束が無くなったので暇つぶしにショウルームへ入って、日直のT氏に色々と質問して話をしたのが1978年の夏だったと記憶する。
私は、1973モデルに興味が有り、911Sの中古車の有無を確認したところ、1969の911Sなら売っても良いと言うオーナーさんが居ると返事されたのが、この車である。
不思議なもので、詳しい話もせずに半年放置、その間は名刺1枚の繋がりだった。翌年1月下旬、名刺の電話へ連絡しT氏を呼んで貰って「半年前に話を聞いた69の911S」をまだオーナーさんが所有していたら、売却意思の確認と次の日曜に見せて貰えるか? と強引な話しを受けて貰い、強引ついでに現金を渡して、車に乗って帰宅したのが39年前の2月4日だった。
当日の待ち合わせ場所は、お互いに知るショウルームと決め、私はポルシェの中古車を判断する知識が無かった為、同行者2名と約束の場所へ。
約束の時刻になってもT氏は現れず、暫くして「闇夜のカラス」的な色のポルシェが到着。事前に聞いていた車体色は群青色。印象とイメージに差が有ったが、5ナンバーを確認してから、私はオーナーさんと話しをした。殆ど車は見て無かったと言うのが真実である。
T氏から聞いたコンディションを信用、同行者がOKのサインを確認。そのオーナーさんは、私より7歳年上の紳士だったこともあり、良心的に売買交渉を進めることが出来、現金と交換で車をガレージへ入れる事が出来た。
1960年代までのポルシェは、「趣味の車作り」のイメージが強く、1969年の911Sまではレーシングカー的な趣きを感じる。1969モデルの911Sは外見は紳士的な静寂さが有り、走り始めると騒々しい。
911Sの初期モデル67・911Sは、トリプルチョーク・ウエーバーキャブの吸気音がキャブ独特の高揚感を醸し出すが、69・911Sは、キャブの吸気音と異なり、その音は、両耳から頭に侵入して脳内を通過した後に頭のてっぺんにあるツボ「百会」に突き抜けていく。
この車は、昭和44年7月にドイツを出て同年9月に登録されており、私が購入した時には1年車検が義務付けられていたので、毎年8月に車検を受けていた。
その為、8月の炎天下に名古屋市内の営業所まで出掛ける事が多かった。東名高速道路を豊川インターから入り、名古屋インターまで乗る経路で、黒いボディ色の上、クーラーを持たない車では過酷な運転を強いられ、毎年の如く豊田インター辺りまで走ると「こんな車、もう要らない」と言う印象だった。
暑い、五月蝿いなど環境で、4速ギヤで4500rpmより上の回転で前述の百会に突き抜ける吸気音は、スティーブ・マックィーンの映画「栄光のル・マン」に登場したオープニング・ラップ飾った白い917ロングテールが、最終コーナーからストレートへ駆け抜けるエンジン音そのものである。
その環境を5分間も体験すれば十分満足してしまう。
ちょうどその頃に三和自動車販売に在籍したメカニックの話しを、2005年頃にお客様経由で聞いた話では、「あの人、まだあの車を持っているんですか?」と言っていたそうだ。
こんな商売にしたのも、この車との出会いであり、この車で色々な勉強をさせて貰った。基本的に、1969年を基準に911の部品を集めた。最終的に69・911Sへ集めた部品を使って、このビジネスを閉じるつもりであり、今までお世話になったお客様からの依頼で1965年〜1973年までの違いを勉強して、本多宗一郎時代のホンダ製品に負けず劣らず細部の部品変更を半年半年で繰り返していた事も知った。
近年、ナロー911と言うネーミング(和製造語)で呼ばれる911/912オーナー諸氏は、使えるから交換して使う、他に部品が入手出来ないから取り付ける、そんな無茶な維持をしている。それが良いか?悪いか?を言えば良くない事を知っていると思うが、周囲に知ったかぶりをする業者やうんちくを並べるオーナーによって悪い方向へ導かれている事を理解してない。
その結果、カタログ写真から抜け出した様な極上の中古車は高騰し、部品取りの車から剥ぎ取った部品を取付けた様なコンディションの車ばかりになってしまった。
「ボロを着てても心は錦」とか「錦で着飾っても、中味はボロボロ」の様にオーナーの意思が見事に反映している。一番良いのは、「内外共に錦で飾る」のだが、1度崩れてしまったら50年も経過した昔の車にそれを望むのが難しいのかも知れないが、現状で甘んじてしまうとそれまでになってしまう。
それぞれのオーナーが、十人十色の考えを持って趣味に没頭するのであるから、他人の口出しは無用であるが、オーナーの心意気は所有する車を拝見すれば一目瞭然である。
趣味で所有する車は、運転席のドアを開けた時に見える部品の劣化具合によって、そのオーナーの心意気が見えてしまう。
私は69・911Sにどっぷり浸かってしまったが、右も左も分らない分野でも、時間と共に暗闇の中にも木漏れ日が見えて来るものである。
お陰で、1965年〜1973年の911シリーズに関しては、趣味の立場とその観点から見て詳しくなる事が出来たと思う。
また、こうして40年近い年月を積み重ねると、新車当時の部品、補修用部品、部品の在庫切れになってバックオーダーとして受注生産した部品、メーカー在庫がゼロになって製造廃止・供給停止された廃版部品などの様々なケースでの経験が有り、それぞれの部品製造クォリティを体験する事が出来た。
その時代、その時代の部品品質を見比べると、新車製造時に作られた部品品質が一番素晴らしく、後年作られた部品は、いささか残念と思われる出来栄えに落胆する事が多かった。
金属加工の技術的な進化・発展は、加工精度などの品質管理は日進月歩で、近年量産された製品に関しては非常に良い製品となっているが、ポルシェ・クラシックとして販売される部品の品質については、当時のマイスター制度下で製造された部品と比べ不満に感じる品質が多い。
モノ作りマイスターによる職人気質はまさに「時」は偉大なり、全盛時代は素晴らしかった。
この世に生れたモノは全て、時間の経過と共に色褪せて行く。日本の神道、八百万の神には「コノハナサクヤヒメ」と「コノハナチルヒメ」が存在して、「生れたら、いずれ朽ち果てる」と言う、生と死を司る。「時」は偉大なり。
70歳を少し超えた人が犬を飼いたいと、ペットショップへ相談した。その時ペットショップから、飼い主が先に他界したら、残された年老いた犬はどうするのか? と言われたらしい。動物を飼う場合には、自分の年齢とその対象となる動物の生涯年齢を考慮する必要が有るそうだ。
私がポルシェと出会って来年40年を迎える。たぶん私が朽ち果てても、この車は残るだろう。しかし、私が所有した40年と言う年月を上回って、この後に40年以上の所有歴を刻む人は存在しないと考える。
誰がどう転んでも、この先の40年は無理だ。私がこのポルシェに出会ったのは25歳364日目の話だった。
他人の所有物を見て食指が動く人の常套句に、「大切にしますから、是非譲ってください」と口にする話が多い。しかし、その言葉を口にする人の多くは、今まで所有した人の信念を上回る事は無い。その時の気まぐれ、口から出任せの挨拶だと理解している。
先日、私がポルシェを購入する前に所有・手放した昭和44年式のスカイライン2000GT-Rを、約40年所有した知人が手放したと人伝に聞いたが、その知人は本当に「ウソ偽り無く」言葉通りにスカイラインGT-Rを、大切に所有してくれたと思う。人それぞれに事情が有り、よく所有していたものだと感心する。
若い時の情熱を40年維持する。そんな意気込みが有っても、長い人生に紆余曲折が有り、人生の半分以上の年月を過ごす事は、中々出来るものではない。
私の車も、そろそろ世代交代を考えなければならない時が近付いて来たのかも知れない。手放す事になれば、ドイツ本国へ戻すのが、この車にとって最高の幸せなのかも知れない。
1969年の911Sは大変です。1969モデルだけの専用部品ばかり。すでに入手困難な流用不可の専用部品です。
「時」は偉大なり。出会いには、別れも付いて来る。
タイムトラベルが実現可能になったとしても、この世に「生」を受けたものは、朽ち果てる事が避けられない現実は存在する。
Oct. 31, 2020
1969年関連のマニュアル & 資料あれこれ
69 911Sと出会った事により、国内正規ディーラールートで入手出来ない資料は全てアメリカ国内で探し入手した。
まず手始めに、現在では良く見掛けるポルシェA.G.発行の「ワークショップマニュアル」である。
しかし、その中に解説されてない事柄も多かったため、次に「メカニカル・インジェクション・マニュアル」だった。
その次に必要になったのが「純正・パーツリスト」だった。
そして、どんどんと深みに嵌って行き、こんな資料の存在も知った。1969年モデル用のディラー向けインフォメーションである。
1969年モデルは、1968年までのウエーバーキャブから、新規にメカニカルインジェクション・システムを採用した事によって、全世界のポルシェ・ディーラーへ告知したインフォメーション・マニュアルである。
下段画像は、ポルシェ 911ストーリーなどに掲載された有名なカットモデル解説図てある。1969年のオーナーズマニュアルにも記載されていた。
これから更に深みに嵌って、ボディカラーのサンプル「カラーチャート」なども入手してしまった。
画像の上段は、1968年モデル用カラーチャート、下段が1969年モデル用である。
365の時代から1970年に至るまで、ポルシェK.G.の時代には、ボディーカラーの基本は偶数年に変更され、1969年は1968カラーとなる。
私の911の場合には、前オーナーが全塗装して色替えしていたのでナス紺メタリックになっているが、新車時の色は「6804 ライトアイボリー」である。
ココに掲載した出版物は、全てポルシェ本社がから各ディーラーへ配布されたポルシェ純正の資料である。
日本国内では、どう言う訳か? 整備に関するマニュアルや特殊工具など、オーダーしても拒否された。その点、米国内では全てオープンだ。
1980年代後半に、殆んどの物がマイクロフィルム化されたが、手元には米国のディーラーから入手した「マイクロフィルムリーダー」もある。
近年では、全てPCで閲覧可能なファイルにされたが、過去の遺物になったマイクロフィルムは今でも、356から964までのマイクロフィルムの力を借りている。その主な理由は、古い資料を遡ってチェックすれば、当時の部品番号が確認できるので、当時物部品を探す時にはとても重宝する。
パーツリストなどは、時々改定されて印刷されたパーツリストは差し替えられており、新車時代の部品が変更されてしまった。中には削除され、パーツリストに掲載されているが、メーカーサイドでの部品ナンバーリストから消されてしまった部品も存在する。
Oct. 31, 2020
1969年用パーツ、オプションパーツ
全世界をマーケットとしていたポルシェには、その地域のニーズに合わせたオプションパーツも存在した。
1980年代には、ポルシェ 911の最大のマーケットだったアメリカ合衆国に、ポルシェカーズ・ノースアメリカと言うポルシェの現地法人が誕生し、東海岸/西海岸のそれぞれに部品供給の拠点を作ったと聞いた。
西海岸の倉庫に部品の在庫が無くても、東海岸の倉庫にストックされたり、その逆も存在した。
パーツリストに記載された「アメリカを除く」と言う部品もアメリカに国内に在庫されており、ドイツ本国で欠品していた部品にも、北米を探せば入手出来ると言う誠に有り難い存在だ。
100リッターガソリンタンク
時々、殆ど偶然に近い話であったが、パーツリストを何となく見ていた時に1967年 911Sに100リットル積載できる100リッター燃料タンクの存在を見つけた。
それを見つけた時、スグに1969年用のパーツにも存在するのでは?と考え、1969/1970用パーツリストを目を通した。
1969 911Sと出会う前、熱中していたスカイライン2000GT-R、スカイラインHT・2000GT-Rには、標準装備品として100リッター燃料タンクが装備されていたので、100リットルと言う燃料タンクは、ちょっぴり魅力を感じた。(国内では100リットルの壁が有り危険物扱いになる関係から99リットルと言う説あり)
それが 911にも存在する事を知り、入手したいと言う思考に染まってしまった。
100リッタータンクは、1967年のオプションパーツに始まり、1969年の100リッタータンク、1970年モデルからは、90リッターの# 911.641.801.00、911レーシングと言うモデル用に110リッターの# 911.641.801.10と言うガソリンタンクも存在したようだ。
画像上 : オプションの100リッタータンク 画像下 : 専用タンクセンダーとコネクターガード
タンクセンダー・ユニット 左 : 62リッター用 パーツ # 901.741.801.00
右 : 100リッター用 パーツ # 901.741.801.01
この100リッター燃料タンクを取付けた際、タンク本体はドイツ国内に在庫があったが、100リッター用のタンクセンダーが無かった為、北米の在庫を確認して貰ったがポルシェカーズ・ノースアメリカにも在庫が無かった。
全米のディーラーネットワークを使ってディーラーの個別在庫を調べた時に、1個だけ残っていることが判明し、即注文した。
その専用センダーが手元に届いてから、センダーとコンビネーションの燃料/油量計をドイツへオーダーすると言う手間の掛かる入手になった。
時代的には、新車時から20年位経過した頃なので、少し入手する時機を逸していたのだろう。
もし、100リッター用のセンダーが入手不可だった場合には、62リッター用のセンダーを使うしかなかった。画像でも長さの違いが確認出来るように、残量警告ランプ点灯の関係が存在する。聞いた話では、62リッター用を使ったら残量20リットル辺りで警告ランプが点灯するらしい。
常に満タンにしないので、残量警告ランプが常に点灯した状態で走行するような状況に陥っていた気がする。(100用タンクセンダーの変色が、その状況を証明している。)
なぜタンクセンダーの長さが異なるのか? その点が気になったが、ロードクリアランス確保の為、62リットルから38リットルの増量分をタンクの上に拡張して、スペアタイヤ用の凹みを無くし、スペアタイヤのホイール裏側へ凸形にする苦肉の策を感じる。
だが、現実的な問題として感じたのは、走行中に道路の段差を乗り越えた時、車が少しジャンプしてから着地後に、トランク内からスペアタイヤの踊る音が「ドン、ドン」と聞こえた。近所の道路、いつも同じ場所でジャンプし、いつもの様にその音が聞こえた。
ロードクリアランスを無視する形で、代表的なのは1973年 911カレラRSである。73RSの場合、軽量を求めてプラスチックタンク化したが、灯油等を入れるポリタンと同じ様な材質に変更して、重心を下げる為にタンク下に拡張して最低地上高を低くした。
ロードカーとして一般道路で普通に走行している間は問題ないが、田舎道などを走行中にハイスピードで段差を通過すると、車は少しジャンプして着地する。着地したときに、サスペンションが縮んで上下した際にガソリンタンクが路面と接触し、ガソリンタンクに穴が空いてしまってガソリン漏れを発症するリスクも抱えた。
停車している時には、ロードクリアランスを確保出来ても,走行中の状況変化は見る事が出来ないので、ある日突然ガソリン漏れ発生の危険性も有る。ポリタン素材なので、瞬間的な変形にある程度柔軟に耐えるが、素材が劣化すれば柔軟性も損なわれて、ガソリン漏れ発生も起こる。
話しを戻し、1969モデルについて、さらに踏み込んで調べると、1973年のカレラRSRのインプレッションを掲載した米国の雑誌にスペアタイヤ固定用ベルト「Y」字状に三点で引っ張る部品が撮影されていた。
1969/1970用パーツリストが改定され、部品が削除され存在すら曖昧になってしまった。元々イラストも無い部品なので無理も無いかも。
その「Y」字の上だけのVを形成する部品の存在が判明して部品を確保した。また、ネット世界の画像から部品全体の画像を見つけることも出来た。
当時、ポルシェK.G.の都合でやった事に推測や推理を重ねてまるで「ポルシェ考古学」である。実に奥が深いポルシェ 911の世界と言えそうだ。
100リッタータンクの魅力であるが、一つには他の911との差別化、もう一つには、航続距離の延長である。ガソリン1リットルで何km走行出来るか? 車を所有する人誰もが気にしてしまう事なのである。1980年代は、ガソリンスタンドの日曜休業と言う、半ば強制されたような時代だった。
1967年 911Sは、ウエーバーキャブレターによって160psを生み出し、面白おかしくハードに走ると高速道路上で「1リットルで3km」と聞いた。
スカイラインHT・2000GT-Rの時に、「1リットルで約5km」だった。
その経験から、1969年 911Sでもほぼ同じだろうと考えていた。しかし、自分で簡易的な燃費計算をした結果、意に反して130km/hの巡航時に「1リットルで約8km」だったので、100リッタータンクは要らなかったかも知れない。
1970年 911Sなどは、もう少し燃費が良くなり、1973年 911Sは更に良くなって「1リットルで13km」辺りまで延びたとか。単純な考えだが、ほぼ同じボディへ少しずつ排気量を上げた事からトルクがupし、エンジン負担が軽減され好転した結果だろう。
まあ、欲しくなって入手し取り付けてしまった話なので不満は全く無い。
Nov. 10, 2020